4月13
同じものを見ていても、見方を変えると今まで気がつかなかった新しいことが分かるようになることがあります。
今回は脈の見方で体験しました。
脈診の指の操作法は変えずに自分の内部イメージを変えてみました。
今までは脈を輪切りにしたような断面で見ていました。
今回、ある本の記述から、脈を上から見る感覚で見てみると、弦脈は緊張して跳ねる感じや石脈は硬い脈といった、脈状が脈診書に書かれている表現のように明瞭に感じられました。
この感覚が新鮮に感じました。
治療や他の診察でも固定観念に縛られて、見えていない情報がまだあると思います。
見方を変えてみる、時々してみるといいかもしれません。
2月15
「命門の火、三焦の原気」で書いた気は、人の気についてですが、この気は人だけでなく、人以外の動物や植物にもあります。
おもしろいのは植物で、太陽の光と連動しているようです。とても明るく感じる部分が枝先から根元、根元から枝先と季節に応じて移動します。まだはっきりとは確認していないのですが、冬至あたりまでは根に近いところにありますが、冬至を過ぎてしばらくすると幹を上って枝先の方へ移動していきます。たぶんこれから推測すると夏至を過ぎると逆に、枝先から根元の方へ移動するのではないかと思っています。
この現象をみると木も生きているのだなと感じます。
上の記事で書いたのは体内の気ですが、体の周りにも光を感じます。これをオーラと呼んでいるのだと思いますが、私には色は分かりません。ただ音や動きの感触で健康状態を判断するのに役立てています。これは東洋医学で言う衛気のことだと考えています。
体力がある人は明るくある程度の幅があります。体力がない人は幅が狭く感じます。まだこれも観察中ですが脈の太さと強さに関係があるようです。これは植物も同じでしっかり明るいと生育が旺盛です。
人だけでなく、動物や植物にもある命あるものに通じる気、これを感知し正しく流れるように治療していくのが本当の治療だと思っています。
正しく治療すると光が患者さんの全身を包み、さわやかな風が吹く感じがします。この状態はとても美しいです。感じていて楽しくなります。
これからの世は、この生命に共通する気を感知するのが当たり前になってくると思います。生命の気が循環する世の中になるといいですね。
私もまだまだ分からないことが多いです。同じく感じる方々とともに知識を分かち合えたらと思います。
12月28
命門の火とは、腎間の動気ともいわれ、陽気の大元のようなものです。
命門については、難経では右腎であると言っていますが、歴史的には両腎の間にあるや両方の腎を指すなど、今でも場所は定まっていません。
私は少し意識して人を見ると、体の中央に明るい光があるように感じます。この光は暖かく気持ちの良い感じです。
これは実際にその人をみるだけでなく、テレビなどの映像や写真を通しても分かります。
この明るい光は生存している人のみに感じるもので、お亡くなりになった人には感じずに光のあった場所が空虚な感じがし、その人の存在感というのを感じなくなります。
感覚的には、生存している人は立体的に感じ、お亡くなりなった人は平面的に感じます。
わたしはこの光が命門の火ではないかと思っています。
難経八難には「いわゆる生気の原は、十二経の根本を謂うなり。腎間の動気を謂うなり。これ五臓六腑の本、十二経脈の根、呼吸の門、三焦の原、一名守邪の神なり。故に気は人の根本なり。」とあります。
すなわち腎間の動気は生命活動をしていく大元のエネルギーだと言っています。
生存している人には感じられ、お亡くなりなった人には感じられないということと一致しているように思います。
このエネルギーは、体の中央に強く感じますが、体全体に存在していて、健康なところは光が満ちて明るく感じ、病んでいるところは暗く感じます。
この全体に満ちている光が三焦の原気といわれるものではないかと思っています。
12月13
長大な東洋医学の歴史の中で自分の存在は、細い糸のようなものだと思う。
それぞれが細い糸で、東洋医学の歴史を織り上げていくのだと思う。
どんな織物ができるのか。
東洋医学の精神が失われないように役割を果たしていこうと思う。
8月22
自然の流れに沿っているものは、乱れのないきれいな音を奏で、自然の流れに沿っていないものはブーンやガガガ・・・という機械音のような音が混じるように感じています。
人だけでなく、インターネット上のブログやホームページからもさまざまな波動の質を感じます。
できるだけ美しい音を奏でる情報を選択していくのが望ましいです。
微細な波動は微細ゆえに感じにくく、粗大な波動は肉体に感じやすいです。
感じるからといって、それをすぐに信用してはいけません。
質をよく吟味してから取り入れる必要があります。
8月18
すべての答えは、自然の中にあると思っています。
人体の治療においても、良い治療とは自然界の正常な循環法則に従うのがよいと思っています。
実際、治療をしていると人体と地球は共通していると感じることが多くあります。
例えば気の流れ、衛気は身体の表面を風のように流れ、営気は水のように流れるのを感じます。
黄帝内経にも経脈を中国の河川に例えたり、くぼんだところを渓谷に例えたり、人体と自然界の陰陽の気の循環など、人体と自然との類似点や対応が記載されています。
前記事で、愁訴部の気が動けば症状は軽減されると書きました。
全体の正常な循環の中で、苦痛がある部も改善されているのがいい状態だと思っています。
時には救急的に、全体を考えずに処置をすることもあると思いますが、基本は全体の流れを崩さずに治療すべきです。
自然の中で良い気があるところは心地よく感じます。
人体も同様。
良い流れがあれば心地よく、また美しく感じます。
7月31
今まで治療をしていてわかってきたのは、どのような治療でも愁訴部の気が流れるようになれば、症状はなくなるということです。
当たり前のことですが、これは真実です。
だから詳しい理論を知らなくても、愁訴部の改善だけを目指すのであれば、細かい理論は不要です。
例えば痛みの症状を治療する場合、補って治療する方法(知熱灸で温めるや置鍼で気を集めて押し流すなど)と瀉して治療する方法(瀉法鍼や梅花鍼などで気を抜く)があります。どちらでも愁訴部の気が流れるようになれば症状は軽減します。
臨床をしていると、それだけでよいのかと感じます。もちろん患者さんの苦痛を取り除くのが第一ではあるのですが、やはり全体の流れが大事だと思うのです。
よい治療をしたとき患者さんの身体のエネルギーは高まり、高い波動で振動し、患者さんの身体の表面に風が吹くように気の流れる感じがします。また明るく輝いているようにも感じます。
このようになる治療がベストだと思っています。